R5.5.12  水運王・継体天皇の業績

                    講師 高槻市文化財アドバイザー 元今城塚歴史館特別館長 森田 克行 氏

 〇 継体天皇(繼體天皇)の外交・軍事関係記事の略年俵

    継体元(507)年  樟葉宮(くずはのみや:枚方市)26代天皇に即位    

    同 5(511)年  筒城宮(つつきのみや:山城国:京田辺市)に遷都

    同12(518)年  弟国宮(おとくにのみや:長岡京市)に遷都

    同20(526)年  磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや:大和国:桜井市)に遷都

    同21(527)年  近江毛野臣(おおみのけぬのおみ)に6万の兵を率いて新羅(しらぎ)攻略されていた南加羅(みなみから)㖨己呑(と  

            くことん)を任那(みまな)に併せんとするも、筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)が渡海を阻止。磐井討伐

            のために大連(おおむらじ)物部麁鹿火(もののべのあらかい)を派遣。

22(528)年   筑紫の御井(みい)郡で物部麁鹿火磐井と交戦して斬殺(磐井の乱) 

             磐井の子筑紫君葛子(くずこ)が糟屋屯倉(みやけ)を献上

    同23(529)年  近江毛野臣を任那の安羅(あら)に派遣       

    同24(530)年  毛野臣が進駐して2年余り成果が出ず、帰還命令が下る 

    同25(531)年  磐余玉穂宮で崩御、藍野陵(あいのみささぎ)に埋葬

   磐井の乱……新羅に奪われた朝鮮半島南部・伽耶(かや:任那)の失地回復のためヤマト王権が朝鮮に出兵。それを阻止しようとする

        新羅と九州北部の豪族・紫国造磐井が手を結び、ヤマト王権の朝鮮への出兵を妨害した。乱の勃発から約1年半後に

                      磐井は敗退。結果、ヤマト王権は各地に屯倉をおき、地方への支配力を強めることとなる。

   屯倉……ヤマト王権の支配制度の一つ。全国に設置した直轄地を表す語

   国造……(くにのみやつこ、こくぞう)古代日本の地方行政機構において、旧来からの氏姓制に基づき地方を治める官職の一種。その

      官職に就いた人を指す。

 〇 継体天皇について

   応神天皇(15)の5世の孫(5代目の子孫)にあたる。

   近江(滋賀県)で生まれ、父の死後に母の実家のある越前(福井県)で育つ

   武烈天皇(25)に子がなかったため、当時ヤマト王権で最も力を持つ大連の大伴金村(おおとものかなむら)により樟葉宮で即位。

   即位後20年目に大和国の磐余玉穂宮に遷都したのは、継体天皇の即位に反対する豪族の動きがあったことや、大和盆地周辺一帯での基盤づくりが必要だった可能性が考えられる。

   都を設置した4か所で共通するのは淀川水系と瀬戸内海へとつながる水運があり、これを背景に王権を強化していったのではないか。

   古事記と日本書紀との記述の違い

<日本書紀>別称:男大迹王(をほどのおおきみ) 生年不詳 継体25(531)年に82で崩御

<古事記>別称:袁本杼命(をほどのみこ) 生年不詳 継体25(531)年に43歳で崩

   皇后は第24仁賢天皇の皇女で第25武烈天皇の妹(姉?)手白香皇女(たしらかのひめみこ)2人の間に第29欽明天皇が生まれ

 た。最初の皇妃目子媛(めのこひめ)の間に第27安閑天皇、第28宣化天皇が生まれている。

   継体天皇の埋葬地「三嶋藍野陵」は茨木市にある「太田(おおだ)茶臼山古墳」とされているが、出土した埴輪等から築造時期は5世紀中頃。一方、「今城塚古墳」は6世紀前半の築造なので真の継体天皇陵とするのが定説。

継体天皇陵を建設する際には生前から造り始めて、当時の建設力からして5年半から6年間くらい要する(以前大林組が仁徳天皇陵の建造には14年間要したとの推測)

 〇 岩戸山古墳(福岡県八女市)……九州北部最大の前方後円墳(全長135m)、石人・石馬・石盾等の石製品が出土。被葬者は筑紫国造磐井と伝

                 わる。

 〇 船舶による輸送状況について

   継体21(527)年に6万人の兵力を輸送するための船舶数については、2,400隻と推定される。内訳としては、1隻当たり兵員25人・

 武具50人分・武器50式・水や糧食7日分・馬2.5頭・馬飼料7日分・船具一式などで積荷合計は、約10tと推定。

   これまで一艘で運搬できる墓石などは1tまでであった。

   磐井の乱の帰還の船に「馬門石(まかどいし:阿蘇ピンク石)」を家形石棺用として今城塚古墳用に運搬した。 

   今城塚古墳から出土した円筒埴輪の一番上の「たが」には、帆のないマスト2本と舳先に船の碇の綱2本が描かれており、停泊中を表

 わしている。                                            I.M


R5.5.19  探偵ナイトスクープ秘話

                                    講師 淀川キリスト教病院小児科医 谷 均史 氏

 講師の略歴等

最初の勤務地は小児科医として鹿児島県徳之島。

「国境なき芸術団?」に参加して、韓国での文化交流事業、シンガポールでの音楽活動、トルコや南アフリカなどでも芸能活動に参加。

  日本での芸能活動は、2000年度民放祭参加番組「笑いの喜望峰(朝日放送)に参加したのが最初で、その後、いろいろな番組に出演してきた中で、「探偵ナイトスクープ(朝日放送・金曜日23時台放送)に出演することとなった。  

  谷講師の探偵ナイトスクープのデビューは、2004年1月17日にロケに初参加して、その年の4月に放送分

〇 今年で放送開始20年目にあたる探偵ナイトスクープに谷講師が出演した時の視聴者からの主な依頼内容

・フルコース満腹大作戦     ・アカマタ(毒なし蛇・沖縄)に腕を咬ませる。     ・オナラでシャボン玉を作る。

  ・指相撲最強の4歳児      ・93歳で水泳に挑戦     ・船酔いを抑える方法(股間と背中に冷水を掛けると収まる) 

・見分けが付かない双子の弟   などの出演本数は約200

〇 探偵ナイトスクープが「ブルーリボン賞」を受賞した作品の放送分をビデオで鑑賞

  依頼内容は、飼い猫の脚気の検査を行うということで谷講師が実験を行ったもの。 

  飼い猫にとどまらず、動物園へ出向き、リスザル・カメ・ツル・ヤギ・サーカスのゾウ・ワニなどに脚気検査をしたが、ワニだけが反応しなかったという結果であった。

〇 おわりに 

谷講師から、台本もなく1日で撮影を終了し、やらせもなく日本を元気にしている番組なので、今後とも視聴してほしいとのことでした。

                                                         I.M