R5.10.6  長岡京市まち歩き

                                          ボランティアガイド(ふるさとガイド)

 

【行程】 JR長岡京駅 出発1320 → 神足神社 → 勝龍寺城(勝竜寺城公園) → 勝龍寺 → 解散(JR長岡京駅) 15時頃

〇 (こう)(たり)神社

 ・式内社で「延喜式」にのる乙訓(おとくに)十九座の一つ。「神足(こうだにの)神社

 ・祭神は「舎人(とねり)親王(40天武天皇の子)

 ・足の健康や怪我を防ぐご利益があるとされる。

   式内社……平安時代に作られた延喜式人名帳に載っている由緒ある神社を示す

 

 〇 (しょう)龍寺(りゅうじ)

 ・勝龍寺に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた城(1339年建立)

 ・元亀2(1571)年に細川藤孝(幽斎)が最先端の城郭に造り変えた。

 ・細川藤孝の嫡男忠興明智光秀の三女お玉(ガラシャ)が、天正6(1578)年に婚礼をこの城で執り行い、2年間新婚時代を過ごしたと伝わる。

 ・平成4(1992)年に「勝竜寺公園」として整備。

   細川ガラシャ(お玉)……生没年1563年~1600年。1578年数え16歳で細川忠興に嫁ぎ、2人の子宝に恵まれる。天正10(1582)年の「本

            能寺の変」の後、丹後の味土野(みどの、現在の京丹後市)幽閉された後、解かれて大坂玉造の細川屋敷に移り住む。

            天正15(1587)年にキリスト教イエスズ会の教会で「ガラシャ」の名を授かる。慶長5(1600)年の「関ケ原の戦い」

            に先立ち、西軍(石田三成)の人質になるように強要されたが、ガラシャはこれを拒否して、屋敷に火をかけて壮絶な最

            期を遂げる(享年38) 

〇 ()解山(げさん)勝龍寺

806年に帰朝した弘法大師(空海)が唐の長安で修業した「青龍寺」の名をとって創建したと伝わる。

・観音堂を始め九十九坊が建てられていた。

962年は大干ばつ・大飢饉が起きた年で、住職の千観上人の祈禱により雨が降り「竜神を呼び、龍神に勝った」という意味から、「青龍

 寺」から「勝龍寺」に改名した。 

 ・勝運、ぼけ封じのお寺